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若者に未来をどうつなげるのか?

若者に未来をどうつなげるのか?

若者に未来をどうつなげるのか、最後の爺の役割、希望と勇気を伝える事。

いつの世でも、爺の役目は、若者にどのような未来を提示できるのか、それが最後のお勤めでもある。敗戦した日本、復員してきた多くの日本人、戦争の悲惨さを味わいながら、学徒動員、学童疎開で生きてきた日本人、その人達が、若者に、何を残せるのか、この国の未来をどう提示できるのか、そのために、最後の命を振り絞り、この国の産業、文化を作り上げた。そして、後は、がんばれよ、と言い残して、この世を去った。そして、戦後生まれた多くの人、団塊の世代の人は、その恩恵をあずかって、ここまで生き延びた。その恩恵は還暦を過ぎた世代まで波及した。ある意味、戦中を経験したおやじ達が作った財産を食いつぶしていったといってもいい。還暦をすぎた、ある意味、役職定年を終えた多くの爺たちの前には、やることがない。戦中をいきたおやじ達、ある意味、先代が築いたものに胡坐をかいて、他力本願で生きてきたつけが今、出てきているからである。二代目のボンボンが、先代の財産を食いつぶして、破綻する状況と似ている。

安倍首相が、アベノミクスといって、インフレを期待した。ある意味、ばらまき行政でもある。しないよりしたほうがいい、しかし、効果は想定以下である。なぜなら、高速ネットワーク情報時代である。市場経済は膨張拡散している。金を投下して、技術開発しても、技術情報は筒抜けである。同じものが安く中国で作られる。鎖国をしない限り、すべてがざるとおなじ、そこから抜けおちる。だから、インフレにはならない。金を刷っているからデフレにはならない。均衡を保つことが精一杯である。だから、大企業で働いていない小規模事業社で働いている全就労者の1/4の人には、未来がないことになる。もちろん、中規模で働いている人もシンドイはずであるし、大企業で働いている人も、いつリストラにあるかわからない人達である。非正規で働いている人は、なおさらである。安心して生活できないから、出生率が上がらないし、少子高齢化に歯止めがかからない。少子高齢化と雇用の不確定化であれば、年金もどうなるかわからない。年金支給者が増えれば、当然に、支給開始年齢が先延ばし、その額も減るのは当然である。

戦後立ち上げた、小規模事業主、零細企業の町工場の経営者は、高度成長を生きて、バブル経済まで頑張った。基本的に、苦労人だから、情を大切にした。おちこぼれや、社会の底辺でつまずいた人を救いあげた。その人たちに、手に職をつけさせた。技能を習得させ、家庭をもたせ、会社を共に大きくした。なぜ、できたか、日本全体が高度成長でインフレだったからである。銀行からの借金も、普通に事業をしていたら、何もしないでも返済できた。護送船団で、日本の隅々までお金が回ったからである。地方の商店街、飲み屋まで金がまわったから、日本は好景気で踊り続けた。しかし、バブルはどこかで終わるもの、中国が市場経済へと移行し、情報ツールが格段に飛躍したからである。それまでは、日本は鎖国状態であった、その囲いがなくなれば、どうなるか、水は高い所から低い所にながれる。温度も高いほうから低い方へ流れる。気圧の差も風となって、低い方へ流れる。日本が貧乏になるのは当然、国力の差がでるからである。バルブからデフレ、バブルの時にかったマンションが暴落したらどうなるか、返済できないから、普通は夜逃げである。それで多くの零細企業がばたばたと潰れていった。

なぜ、ベンチャー企業がうまくいかないのか、根本は、欧米のように経営者が、非情になれないからである。中国はなぜうまくいくのか、国家統制型経済だからである。国がベンチャー企業を管理し、市場をインフレにもっていっているからである。それができるのも、国力があるからである。しかし、アメリカにはかなわない。最終的には中国もアメリカには勝てないはずである。日本人がどんなに明治維新から頑張っても、最後は、アメリカにぼこぼこにされたのと同じ、それがわかっているから、賢い中国人はそこまでしない。だから、日本でうまくいくベンチャー企業は、基本的に、ブラック企業のはず。

ベンチャー企業からそれなりの企業になった中小企業のオーナー、相当な技術力があれば別だが、大抵は、優秀な人をひっぱり、その情報をとって、不要になれば、いじめて、追い出すというパターンが多いはずである。最初は、猫なで声で近寄り、そして、ヘッドハンティングして雇い入れる。釣った魚にはエサをやらないパターン。使えなくなったら、無能呼ばわりで、追い出す。世間は、大きくなった企業を評価する。そういう非情のライセンスをもった人でないと、ベンチャー企業で人を雇用して大きくはならない。

人のいい戦後の零細企業のおやじのような経営者は、今の時代、生きていけない。身売りするか、よそから、非情のライセンスができる人を経営者によんで、非生産性の人を、追い出すことになる。いずれ、日本もどこかで行き詰まる時を迎える。中国のような国家管理型の社会になるはずである。下流の日本人が2割を超えれば、選挙でひっくり返るからである。日本はいまでも、官僚律令国家、官僚は、時の政権に忖度して、時の権力に都合のいい制度を作り上げる。日本全体で日本の産業や社会を守らなければ、まちがいなく、この国は、他国に乗っ取られる。

還暦を過ぎた爺が、生きられて後20年、今のままでいけば、間違いなく、この国は衰退していく。現状、海外からの技術者、研究者、学生、どんどん日本の研究機関に入っている。ある所は、公用語(会話)が中国語になっているくらい中国人だらけ、ばかな会社は英語で話せということ、それも国際競争力UP強化という理はあるが、その代わり、どんどん、情報が流失している。日本がある程度、そこそこのレベルにいたのは、技術が日本語で書かれていたから、ノーハウがクローズされていたからである。今はマニュアル化で丸裸だから、簡単に外に持っていける。人の頭に入った情報、ノーハウは消すことなどできないからである。後、20年もすれば、昭和を知っている人は、いなくなる。還暦をすぎた爺は、良き日本の風土を経験した人達である。戦中を生きたおやじの財産を受け継いだ人達でもある。そのキーは何か、希望と勇気である。今の若者に、希望と勇気を未来に提示できるだろうか、今の状態では、今の若者に、そんな未来など信じることなどできないはずである。

爺にとって、後生きられる時間は、それほどない。爺が最後にこの世でやる事は、若者に希望と勇気を与えることでしかない。まさしく、アンパンマンの精神以外にはないのである。爺にあるのは、経験である。そして、ノーハウである。技術であり、職人的な技である。営業なら、売る技術なのである。爺に必要なのは、体力である。気力、知力は、体力があってできるものである。爺は、体を絞ることである。そして、体の柔軟性を取り戻し、歩くことである。そうして、自分に残っている知力、気力を振り絞り、社会にでることである。世のため、人のためとは、結局、若者に希望と勇気を与えることである。失望と惰性だけでは、この国は滅びていく。爺は、若者に、最後の生きざまを見せてあげることである。最後まで希望と勇気をもって生き抜く姿を若者に見せることである。それが、爺のこれからの責務だと感じる。

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