革新的な美粒の高圧乳化分散、グラフェン、カーボンナノチューブ、セルロースナノファイバー、挙動は同じです。

美粒の分散哲学

美粒の分散哲学

美粒の分散哲学

 分散は、もはやひとつの哲学である。対比する哲学(物の考え方)とは、粉砕・破壊の分散哲学である。もはや、飽和してどうすることもできない。時代はますますIoTの時代である。車の自動運転化がすすめば、スマホどころではない。EV化も同時に進めばどうすることもできない。ますますカーボン系、ニッケル系、セラミック系、シリコン系、チタン系の分散技術がより精度をます。従来の粉砕・破壊の分散哲学に固執すれば、非効率化がさらに増大し、地球温暖化に拍車がかかる。文明はよくなるが、その代わり、人が災害で亡くなる時代になる。貧乏人は、風雨にさらされて、洪水に飲まれるのも、仕方がないという時代になるだろう。

 上流側に、あるのは、基本は分散である。それがふざけていたら、どうにもならない。もはや、技術論や方法論の範疇ではない。物の考え方にまで遡及する。つまり、哲学の領域である。下記の図(必要なら、美粒のHP参照)をみたらいい。従来の分散がどれほど、ふざけているかわかるはずである。否定はしない。従来、それでやってきたからである。壊れるものは壊れる。それのどこが悪いのか、何も悪くない。そういう分散哲学だからである。ノズルの径と圧力の表をだした。あまり意味がない、なぜなら、当たり前のことを示したからである。これは全体の一つの指標にしかすぎない。しかし、粉砕・破壊の分散哲学での高圧分散装置にとっては、これが重要なファクターになる。高圧ポンプのシリンダー設計や加工には、応力集中の除去での加工上でのノーハウもあるが、それ以前に、どのように壊れないようにするかの指標がある。それが、上限流量の制限である。それが、PV値やストローク時間なのである。そこを野放しにすれば、ユーザーは、そこの専門家ではないので、圧力と流量だけで、生産機をえらぶ。粉砕や破壊の分散哲学では、縦の力がメインである。だから、圧力はあげろ、管路の流速をあげて、とにかく固いものにぶつけて、細かくしろが、分散哲学の指標だから、上限のリミッターを外す。ものも、壊れるが、ノズルはやられる、プランジャーは、ぶれて、当たる。とんでもない世界が出てくる。当たり前なのである。そういう分散哲学なのである。

 もともと、日本には高圧分散機での分散の発想がない。ヨーロッパ・アメリカで作られた装置のすべてコピーである。枝葉末節な部位を適当につくって、それが効果あるという人もいるが、すべて亜流である。もし、結果がでているのなら、たまたま、処方条件がそのわけのわからない装置とあっているにすぎない。

 分散は、複雑系、どんな因果関係があるのか、だれも分からない。結果がすべてだから、結果からの屁理屈が正論となる。最初からロジックなどないのである。ある意味、職人芸なのである。最終的にものをつくって、それでOKだから、そのプロセスを踏襲する。より効率的なプロセスがあっても、それが検証され、実証されない限り、何も変わらない。ノーベル賞をとった先生も業界で権威あると称されるとんでもない先生も、神様以外、だれも分からない世界なのである。結果がでて、それで製品化されないかぎり、その分散手法を改めることができないのである。積み上げ算からは、複雑すぎて、どうにもならないのである。10年、20年前にナノカーボン時代と言われたが、分散手法が同じだから、何も変わらない。実際は、スマホ、PC、ハイブリット、EV、IoTと、どんどん進化している。しかし、その混ぜ物の本質の分散技術は何も変わっていない。だから、どんどん、エネルギーをかけて、無駄なことをして、精度をあげている。その手法をもって、生産量をあげているのである。その結果、どうなるのか、エネルギーが垂れ流され、地球温暖化と環境破壊が加速度的に上昇する。ほんとうに、30年後、50年後の未来が危ぶまれる。

 ナノカーボン乳化というものを、つくった。すでに特許が下りている。夢の素材といわれているカーボンナノチューブに潜伏している暗黒物質も除去できるシステムをもつくった。これができると、SWCNTの解繊がすすむ。今まで、動かなかった市場がうごくことになる。動けば、価格が下がり、いろんなところに波及する。これもなぜできたか、分散哲学が違うからである。粉砕・破壊の分散哲学とは全く異質な、美粒の分散哲学で作ったからである。この分散技術をベースにした原理特許もすでに取得している。しかし、システムがあっても、何か、ものとして従来と異質なものをつくらないと、誰も、振り向きはしない。粉砕・破壊の分散哲学に支配されているのが、全体の99%である。従来よりも、効率がいい、結果がいいだけでは、イノベーションは起きないのである。粉砕・破壊の分散哲学とは、異質なものと称されるには、従来できなかった、従来の発想からは、たどり着けないものをつくって、これだから、こうだという以外にその違いを明白化することはできないのである。それが、ロジックのない、結果がすべての分散という世界の在りようだからである。だから、昭和50代から、世界でも分散技術はなにもかわっていない。粉砕・破壊の分散哲学と界面活性剤と分級、分離の世界だけが支配する世界だったのである。

 ナノカーボン乳化は、確かにすごいと感じる。基本的に、金属やカーボン以外は、絶縁体である。絶縁体を導電材のナノカーボンで、界面活性剤やほかの基材をつかうことなく、包み込むことができた。そして、CNTに潜んでいる暗黒物質を簡単に除去し、CNTの解繊を破壊することなくさらに進めることができたのである。この技術も当然に、ナノカーボン乳化にも使える。そうなれば、何がおきるのか、私には、そこまでの頭がないが、どこかの企業が、それを応用して、とんでもないものを作り上げるはずである。それが、将来のこの国や世界の在りようを変えると信じている。なぜなら、すべての始まりがものを混ぜ合わせることからスタートするからである。分散がひとつのものの始まりだからである。いままで、粉砕・破壊の分散哲学で支配された世界に、やっと一筋の別な光をともすことができた。

 人も企業、一度取り込んだものは、なかなか変えることなどできない。私はいままで、3つ、従来の技術では簡単にできないことをやった。ひとつは、リポゾームである。リン脂質を澄明性のある分散体にすることである。それと、チタン酸バリュームの分散、いわゆるMLCCである。そして、ポリエステルの無溶剤化でのカラートナー用のエマルジョンである。しかし、他の方法でもできるから、それでどうにかなるものではなかった。その後、リーマンショックがあって、ひどい目にあわされたが、それ以降も粉砕・破壊の分散哲学は、主軸になっていった。

 しかし、もう限界にきている。もちろん、その手法でできるものもあるし、その方がいいのもある。たぶん、分散に携わっている人は、みんな気づいている。粉砕・破壊の分散哲学では新しいもの、時代が要求するものには対応できないのではと、しかし、当たり前だが、結果など、だれからも示されない。やってみて、新しいものを捕まえないと実証ができないからである。しかし、そのツールがない。だから、論文が描けないのである。功名な先生も分散の哲学者ではないからである。従来であれば、粉砕・破壊の分散哲学の中に解があったから、それを利用すれば、いつか解が出てくると誰もが思っていた。何回やっても、時間をかけても、解が見つからない。そうして、やっと、もしかしたら、粉砕・破壊の分散とは違うものがあるのではないかと感じ始めたのである。

 その中で、ナノカーボン乳化がでてきた、CNTに潜む暗黒物質の除去を打ち出した。やっと振り向かせる機会を得たのである。ある意味、まちぶせ、である。

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