革新的な美粒の高圧乳化分散、グラフェン、カーボンナノチューブ、セルロースナノファイバー、挙動は同じです。

新しい基材、製法技術、ピッカリング乳化、(旧態の分散技術の限界)、風立ちぬ論。

新しい基材、製法技術、ピッカリング乳化、(旧態の分散技術の限界)、風立ちぬ論。

新しい基材、製法技術、ピッカリング乳化、(旧態の分散技術の限界)、風立ちぬ論。

電池関係で、よく聞かれる、特に、中国関連でルートをもっている人たちから、よく質問を受ける、総括すれば、ある溶媒(低粘度から高粘度)に対して、無機の金属を細かく分散したいということである。ひとくくりにすれば、ナノフィラーの分散技術である。一般的に、顔料分散がそれにあたる。ビーズミルでがりがりとやって、必要なものをとって、大きなものは、もとにもどして、がりがりとやるという点である。20年前からある技術である。だから、どこも同じ発想でやる。ガリガリ君手法である。また、超精密のチタン酸バリュームの高粘度溶媒に対しての分散は、空気の問題があるので、ガリガリ手法はつかえず、それを前処理として、つかい、超高度の高圧分散技術をつかう。それも15年ぐらい以前にすでに生産技術としては確立しているものである。なぜ、ビーズミルがうまくいくようになったのかは、これもカーボン技術が進歩したおかげなのである。カーボン面と超硬のエッジ面でシール性をたもつ、メカニカルシール技術が発達したおかげである。高速でまわせば、そこに発熱をする、それを冷却する技術、いろいろな技術が付加されてビーズミルや内圧に耐えられる高速ミキサーがうまれたのである。装置側に、何も新規性などない。毎年、開かれれている展示会、ベテランの人は、ネットでちらりとみる、同じものなら、行かない。冷やかしにいくほど、企業はもう甘くないからである。だからイベント会社は必至である。あの手この手である。

今の高速ネットワークSNS情報時代、2年、3年まえのPCやスマホやアプリなど、最先端には使えない。だから、どんどん新規性を加える。そうしないと市場が回らなくなったからである。論旨をもどそう、このご時世、できているものなら、すでにもうできている。中国がだまってみていない。できるなら、金と力と物量で日本やアメリカを圧倒する。なぜ、それでも、私に聞いてくるのか、この高速ネットワークSNS時代でも、その明快な回答がでないからである。ねこに鈴をつける人がいないからである。大体、それをやっても、費用対効果がないから、やっても意味がない。試験機でできたとしても、量産になれば、量産時での不確定性要素がでてくる。つまり、それをやる価値がもうないということに、だれも気が付かない、それが問題なのである。SNSのコメントとおなじ、論理的に正論は言えても、現実的にそれを解消する術を持ちえない。量産の生産技術と同じなのである。半導体もおなじ、液晶技術もおなじ、それを量産化、画一化するのに、どれだけの時間とコストがかかったか、である。さらに難しいのは、ナノフィラーの分散である。より複雑になり、量産時には、予期せぬ問題がでてくる。だから、それがノーハウとなって、日本企業は利益を独占することができる。

つまり、同じ手法、顔料分散に使われれるビーズミルのプロセスに、高度な高圧分散技術のプロセスに、材料の種類を変えて、いいものができるのか、なのである。すでに、どこも設備はある。だから、できているのなら、もうできているのである。できないということは、材料が違うことで、従来とは異質な問題が発生している。同じ問題なら、すでに学習しているから、ちょっと頭を使えば解決できるものなのである。ほとんどの人は、そのちょっと頭を使えばのそのちょっとができていないと錯覚するのである。もう無意味である。

化粧品や化学品で使われる乳化技術、ほとんどが、界面活性剤をつかって、油を乳化する。界面活性剤が体にわるい、環境にわるい、だから、活性剤を使わないで乳化できないか、もう30年にわたる問題である。それも、品質をさらに良くしたい、コストもそれほどかけたくない、装置トラブル、メンテもないほうがいい。当たり前である。それが、ひとくくりにすれば、ピッカリング乳化と呼ばれる手法である。できないことはなかった。しかし、それができるには、それなりの条件がある。つまり、いくらいいものでも、汎用性がない、費用対効果のないものは、市場が反応しないのである。設備が不完全なら、量産に耐えられないからである。

ミセル乳化ではなく、界面活性剤をつかうことなく、しかも、品質が向上し、コストもそれほどかわらない、設備もトラブらない。ノズルもこわれない。そうなると、動き出すのである。そういう新しい技法がでてくると、世の中は変わるのである。化粧品関連では、約20年ぐらいの潜伏があった。潜熱と発想は一緒、ものが変化するのに、相転移するのに、余分なエネルギーが必要、それが時間というエネルギーだったのである。それこそが、風立ちぬ、いざいきめやも、なのである。風がたった。ふいた。もたもたしていると、死んでしまうぞ、だから、やらなければ存続できない。それこそが、風立ちぬ論なのである。

だから、旧態のやり方に固執すれば、そこから脱却はできない。できるものなら、すでにできている。できないなら、やめろ、やりたいのなら、出来合いのコピーをするのではなく、自ら汗をかいて、それができる新しい手法をみつけて、新しい時代を作り出すしか方法論はない。ナノカーボンとして、設備をつくり、材料系でナノカーボン乳化をつくった。ともに特許が成立している。その手法がどこまで応用発展ができるのか、意外と潜伏期間は短く、企業は動くと信じている。風立ちぬ論がかならず機能するからである。

最初にもどす。電池関係で、よく聞かれる、特に、中国関連でルートをもっている人たちから、よく質問を受ける、総括すれば、ある溶媒(低粘度から高粘度)に対して、無機の金属を細かく分散したいということである。その答えは、きまっている。意味がない。費用対効果がないから、私はやらない。できるのなら、御随意にやってみたら。できているのなら、だれかがすでにやっていて、莫大な利益を上げている。世の中とはそういうものなのである。

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