革新的な美粒の高圧乳化分散、グラフェン、カーボンナノチューブ、セルロースナノファイバー、挙動は同じです。

人生の原理、不運の原理、美粒モジュールの原理、美流の論理

人生の原理、不運の原理、美粒モジュールの原理、美流の論理

 昔の言葉のように、人生50年とすれば、その後はおまけ見たいなもの、なんとか、還暦まで生きて、それから一年一年と歳を重ねている。私の知り合いでも、還暦までたどりつけず、あの世へ行った人もいる。今でいえば、70歳を超えて、75歳ぐらいまで生きられたら、御の字である。さらにそれ以降は、おまけのおまけである。

 最近の私のメインの仕事は、自分が作り上げた微粒化装置の中心部(美粒モジュールというが)を用途や要望に応じて最適化していく事になっている。従来できなかったものが、色々とブレイクスルーしている。私が作り上げたものは、物質や物を破壊することに主眼をおいてはいない。それは、粉砕といって、物事をばらばらにすることである。一番、近い現象とすれば、爆発である。岩盤にダイナマイトをしこみ、爆発させ、木っ端微塵にすることである。それは、その物質がもっている機能までぶち壊すことを意味している。爆弾で人を木っ端微塵にする。人の機能を抹殺して殺害するのと同じである。

 私は、自分が考案した装置をひとつの小宇宙だと思っている。どのようにしたら、美しい粒子がとれるか、ある程度、経験でわかっている。一度通せば、そのものの特性が見えてくるからである。それは自分が作り上げたものだから、感覚的に、見えるものがある。これは芸術家の感性に近いものがある。装置の条件を固定して、物の配合や添加剤をいじくりまわしても、できないものはできない。それは、客観的に神様の視点で、どうあるべきかが見えないからである。なぜ、私には、できるのか、それは、ある意味、自分が作り上げた世界、ひとつの小宇宙、その装置で起こる現象に対して、私は、神様の視点で、そこで起こる出来事を俯瞰することができるからである。だから、条件を最適化できるのである。もちろん、標準に近い組み合わせで、解が得られる場合もあるし、できない場合もある。いずれにしても、どこをどれだけ越えたらだめになるのか、それが見えるのである。もちろん、私は神様ではないから、事前にわかるわけがない。自分で作った装置を何回か通せば、システムとの相互作用がみえるからである。それをベースにして、最適化のマトリックスを直感的に構築する事ができる。その領域になれば、もはや職人である。

 人生も全く同じである。自分が作り上げた微粒化システム(美粒システムという)、そこには、私の今まで生きてきた人生経験が生きている。私は神様ではない。自分自身を神様の視点で俯瞰できるほど、超人ではない。それが、見えだしたのが、人生の黄昏を感じだしたころ、自分の人生の出口を感じだしたころである。見えても、感じるだけで、どこまでやったらいいかなど、自分自身ではわからない。しかし、自分の人生、人さまの人生の推移と私が作り上げたシステムから得られる結果とを比べると、それらは明らかに類似している。その因果関係は同じようにしかみえない。乱したら、壊れる、乱れないように力をかけて処理する、私はそれを美流下での処理とよんでいるが、そうすると、美しい秩序がうまれ、その本来もっている物質の機能がうまく発揮されるということなのである。うまく人生を生きている人と生きていない人の差もそこにあるように思える。そして、人生、途上で、がんや大抵は心臓疾患だが、命を落とす人は、過去において、何かの乱れを生じさせているはずなのである。

 神様の視点で、自分を俯瞰などできない。しかし、客観的みれば、病気を起こすには、何かしらの引き金がある。突然変異のように、急にがん細胞になるということはない。バネと同じように、戻れる範囲があるし、物事が相転移する時、固体が液体となる時も、そこには、潜熱があり、相が転移するにも必ず時間がかかるということである。つまり、何か変異しても、それに気付き、心身を休めれば、もとに戻るということなのである。がんにかかるには、何か乱れを生じされるものがあったはずである。それを、ある一定時間、強く受けたのである。そうして、健康体から、別の自分へと転移してしまったのである。

 難病に、必ず使用する薬がある。それがステロイド、副腎皮質ホルモン剤である。劇薬のステロイドは、その状態になっても、自己回復力を呼び起こせる最後の薬である。だから、難病には、経験上、ステロイドをつかう。病気の発症の因果関係が解明されていないからである。だから、ある意味、一か八かの処方箋なのである。効く人は効くし、効かない人は効かない。私は、若い時、ネフローゼになった。3回再発した、50代の初期に無理をしたため、再発した。しかし、私の場合、百発百中でステロイドが効いた。一番長く効果がでなかったのは、一番初めの時である。50代の時は、薬を投与して10日ぐらいで、もとに戻った。後はステロイドを減量していく作業だった。もし、ステロイドという薬がなかったら、私は、15歳の時に死んでいた。

 私も馬鹿ではない。私の場合、何が原因でそうなったか、過去の事例と照合してみた。確かに思い当たる節があった。私の場合は、ある一定以上の過度の運動(ストレス)が、ある一定期間を超えると発症することをつかんだ。それは過度の乱れの状態がどれだけ続いたかということなのである。どれだけの強い運動(ストレス)かは、人によってことなるし、それがどこに来るかも、人によってちがう。弱い部位が人によって違うからである。過度のストレスが短時間なら問題はないし、体を破壊するようなストレスでないなら、どれだけ続いても、問題はない。疲労が起きて、どこかで、休息が入るからである。

 これは、従来の微細化、粉砕の装置の考え方と同じなのである。どれだけ強い力を物質にあたえ(乱れを与えて)、それをどれだけ繰り返し加えたかなのである。それが、粉砕の考えである。ビーズミル、粉砕型の高圧分散機、超音波分散機、である。物事は作用反作用がかかるから、物質も壊れるが、自分自身(装置)も壊れる。その原理が、いまでもほとんどの分野で踏襲されている。もし、人間にかけたらどうなるか、一発で死である。私は、それと真逆な考えをしたのである。力を加えても、乱れないやり方、力を加えて、微細にしても、その機能を活かす方法なのである。今はやりのカーボンナノチューブ、それをぶっ壊したらどうなるか、黒鉛を粉砕しても、グラフェンにはならない、やり方を工夫すれば、(条件を合わせたら)、どのようなカーボンナノチューブも綺麗に解繊するし、黒鉛も、薄い層になって、かぎりなくグラフェン化へと簡単にできるのである。美粒のHPを参考にしてもらえればいいが、カーボンナノチューブと薄くなった黒鉛とで、油を乳化させたのである。界面活性剤などつかっていない。カーボンナノチューブと黒鉛とで、乳化剤として機能させたのである。世界初である。特許をも申請した。これがどんな用途に応用されるかわからない。しかし、私の死後かもしれないが、これが、とんでもない用途に展開されると感じている。なぜ、こんなことができるのか、粉砕とは真逆な美流条件で処理したからである。

 最近の飛行機は落ちない。なぜなら、気象衛星からの情報、レーダーからの情報で、飛行航路上にある危険を察することができるからである。それを回避しながら、できるだけ安全なところを飛行する。乱気流の中に突入すれば、どうなるか、パイロットは熟知しているから、誰でもがさける。死にたくないからである。残念だが、人生には、レーダーがない。未来において、どんな乱気流が待ち構えているかなど、だれもわからない。うまく乱れをかわせばいい、しかし、わからない。ちょっとしたことで、感情をセーブできず、人を殺してしまったらどうなるか、一生、棒にふる。過度のストレスをうけ、それが、つづけば、体に変調をきたす。がんにかかりやすい家系であれば、がんになる。そうして、元に戻れない領域にくれば、どこかで、死を迎える。神様の視点で、自分自身を客観視できないからである。神様の視点で、自分自身が置かれている状況をレーダーで見ることができないからである。

 よく当たる人生の鑑定師、占いの婆さんや、名医といわれている爺さんや婆さんのドクターは、その人の話と、顔色と状態をみれば、この人が、ストレスをうけているかどうかは、直感でわかる。このままいけば、未来にどんなことが起こるか、感じることができる。自分のことはわからないが、人様のことに対して、ある程度、神様の視点で物事の道理を俯瞰することができるからである。

 何か、ストレスを受けていると思ったら、悩まずに、よくボケしていない人生の黄昏を感じている爺や婆に相談することである。多少ピントが外れていると思うが、もし、危ないと感じたなら、何かをいうはずである。この先に起こる未来を感じるはずである。きっと、何かの参考になるはずである。爺や婆に相談することで、一歩立ち止まることができる。乱れを減衰させることができるはずである。同年配や、50歳未満のある意味、小僧に相談しても意味がない。人生の黄昏を感じ、人生の出口を見た人でないと、人様の未来など、見えるはずがないからである。

 若さとは、自分を見る目と対象(自分)との距離が近い。だから、神様の視点で自分自身を見ることができない。エゴがあるから、自分の考えが絶対と思い込む。その先入観が、物事の真理を見えなくする。こうあるべきだ、こうだと勝手に思い込むからである。だから、破壊の論理、粉砕から逃れられないのである。人様の乱れはわかっても、自分の乱れがわからないのである。それがみえるのが、人生の黄昏時、自分の人生の出口がみえて、はじめて、自分を客体視できる。神様の視点が見えてくる。あそこまでいけば、自分はあの世へといく。そう感じて、初めて、見える世界がある。それが、きっと、美流の論理だと私は思っている。

 人生とは、いつも、晴れているとは限らない。大抵は、曇り空である。しかし、ときどき、雲間から、真理の光が差し込むことがある。それを見逃さないことだ。そして、すぐにとざす。私もどこまで生きられるかわからない。困っていることがあれば私にいえばいい、新しい何かを求めたいなら、それが未来に対して有効なものなら、それが、美粒の原理で解決できるなら、遠慮なくいえばいい。何回か通せば、問題点が見えるはずである。神様の視点にたって、見えなかった新しい論理の筋道を照らしてあげよう。それが利他につながるなら、そうしよう。私にしかできないことなら、そうしよう。

(2018年9月24日、秋山なおの美粒ブログにUP)

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